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ヨーロッパで映画祭に参加していた茂木監督。日欧のたくさんの観客の皆さんからの感想を受けて、いろいろな事を考え続けています。映画は創って終わりでなくて、創ってからまた始まるのだとつくづく思います。[090612 azw]


2009.06.12 

茂木綾子

ヨーロッパの映画祭後の感想

スイスのvisions du reelニヨン国際映画祭とドイツのdokfest munichミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭に参加してきました。
この二つの映画祭は前作の「風にきく」でも参加させてもらい、今回は7年ぶり2回目の参加でした。
大勢の観客を前に挨拶をするのは、あまり得意な方ではないですが、どの回も客席に座ってスクリーンをいっしょに観ていると、人々の反応が直に伝わってくるのと、映画を味わい終わった気分が観客と共有でき、上映終了後のトークも、以外とリラックスして話すことができました。
ヨーロッパで上映していて、やはりよく言われる批判としては、情報としての説明やナレーションがほとんどないので、どこのどんな場所なのか、石垣さんがどういう作家なのか、また染織の技術面についてよく分からないのが不満だ、というものがよくあります。それに対し私が答えたのは、あの布を手にした時の感動は、その布がどんな素材で染料で、どんな技術で織ったのかなど、説明書きがもし添えられていたとしても、なるほど、と思うぐらいで、直接感動にはつながらない。それよりは、布自体が、無言で伝えてくる手触りや色合い、匂いなどから直接くるエモーションがとにかく心に残るのであって、一本一本の糸や植物の色がもつ、小さな命の物語の数々を何百何千と集めてできた一枚の布、その布を手にしたときのような魅力的な感覚を、いろいろなメタファーを織り合わせ、直接感覚に伝えられるような映画を作りたかった。それは説明が多ければ多いだけ、見る側の意識は言葉に頼ってしまい、言葉でない理解や感動を邪魔してしまい易いのではないかと思い、あえて説明はつけなかったのだと思う、そんな答えが即興的にでてきました。
金星さんのキャラクターの強さも、金星さんが元教師でエコロジストでとかいった肩書きなど分からなくても、誰もが見ていて、彼の強烈な人柄に圧倒され、ちょっとした身振り話し振りについ笑わされ、唄いっぷりは東洋のボブ・ディランといった感じですし、本当にそのままで十二分に感じられることと思います。昭子さんとの夫婦喧嘩も微笑ましく、何を言われても、でんとして鼻であしらっている昭子さんの様子は、いい夫婦の力関係が自然と感じられて、理屈抜きで素敵なのではないかと思います。
また、他に時々言われるのが、染織が興味深く、ずっと見ていたいのに、ゴミや廃墟、子供や、祭りなど、余計な要素が出てくるのはどうしてか、というような批判がありました。
たしかに染織そのものは、私にとっても大変魅力的だし、そこからこの映画も始まったので、人によって、その美しく興味深いところだけをもっともっと見せてほしい、という気持ちも分からなくもないのですが、島に通って私が強く実感してきたことは、世界は美しい部分だけで出来上がっているわけではなく、年寄りや子供、動物や、酔っぱらいや、ゴミや神様、唄も工事現場のノイズも、廃墟も美しい浜辺も、ありとあらゆる物が共存している世界なんだなということでした。金星さんが、山猫は神様として大事にされてきたが、山猫を捕まえたときには、神様としてありがたく感謝して食べた、と昔話として語っていましたが、それもとても印象深い話でした。世界中の宗教で、神を崇めるとき、自分たちとは完全に切り離し、手の届かない存在として神を考えると思いますが、金星さんの話す神様への感覚は、全く自分の一部分として神が存在しているという印象を持ちました。上も下もなく、一体になっているといった印象。でもその方が実はとても納得がいき、自然な感覚なのではないかと気づかされました。
その他、多くのリアクションや感想があり、とてもここには書ききれませんが、いろいろな方々からの反応や感想、批判、賛辞などもいただいて、その度にあれこれと考えたり、反省したり、再認識したりと、いい反応も、厳しい反応も、全部ありがたくいただいて、お腹で消化させてもらいつつ、まだまだこの映画は終わらないようです。今回の映画祭後、また世界中のあちこちの映画祭から声をかけられ、もうしばらくは、各地の映画祭を廻ることになりそうです。日本でも、上映会の予定がまだまだありますので、機会がありましたら、皆様是非お越し下さい。私も時々、スイスから出かけて行って舞台挨拶に顔を出すこともありますので、意見や感想や批判をぶつけたい方は、是非どこかで。
次の予定は、8月7日京都シネマで舞台挨拶に立ちます。



 

 
2008.11.06 

茂木綾子

映画祭メッセージ

消費社会も陰りを見せ始めているようですが、必要最低限だけを作り、消費し、ゴミはできるだけ少なく、という石垣さんのメッセージは、何も珍しくはありませんが、やはりとても重要な問題だと思います。彼女のすばらしさは、どれだけ芸術的にいい作品を創るかという自分自身の利益以上に、いかに環境や自然を守りながら物を創っていけるか、という普遍的なメッセージを、彼女の生き方や生活そのものと、作り出した布によって表現し続けている点だと思いました。
美しいものが生まれるとき、その裏には必ず陰の部分が同時に生まれます。
陰の存在を忘れ、無視し続けてきた結果が、いろいろなところで膿のように吹き出しているのが分かっていても、誰もが自分の家の中だけを掃除し、飾り立てることしかしない、それが私たちの現実の姿だと思います。うなり崎も、そのひとつの現れとして、無視され、放置されたままでいます。多くの日本人にとって、南の果ての西表島の廃墟などどうでもよいことなのでしょう。西表島で撮影しながら、それが、私自身の心の陰に見えてきました。
陰に対してじっと目を向けてみると、自然と全体が見えてきます。
美しい石垣昭子さんの生み出す布と、山と積み上げられたプラスチックゴミ、死んだウミガメ、村の聖地や祈りのための歌声、それぞれが、深い陰の奥の方から、静かなメッセージを送ってくれているのを是非感じてみてください。
今日の上映会に足を運んでいただき、ありがとうございました。



 

構想5年。ついに映画が完成しました。
完成にあたり、茂木監督が皆様にメッセージを届けます。
これから公開を迎えますが、更なる展開をご期待ください!
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。


2008.04.30 

茂木綾子

「島の色 静かな声」がついに完成し、支援者のための試写会も無事終了することができました。この作品に協力してくださった、出資者や協賛、支援団体の方々、そして製作に関わってくださったスタッフや関係者、さらに、西表島の石垣夫妻と紅露工房の皆さん、祖納村の人々、本当にたくさんの人々の協力のお陰で、ここまで辿り着くことができました。これらの皆様に、心から感謝とお礼を申し上げます。
初めてこの映画へのインスピレーションを感じてから、五年近くの年月が経ちました。縁あって知り合い、無謀にも、この映画のプロデュースに真剣に取り組んでくれた相澤さん(本業は建築家で映画製作に関しては全くの素人)とは、三年間、年に一度ずつ西表島を訪問。無謀な素人二人が、「本当に映画を一本作っちゃえ!」と、年々怖いもの知らずの竜巻は勢いづいて、その後、アートプロデューサーである、P3 art and environmentの芹沢さん(芹沢さんも映画製作に関しては全くの無知)も巻き込み、さらに素人三人組は、勢力を増して、映画製作会社サイレンヴォイスLLPを立ち上げ、ドイツ、フランスの共同製作ということにもなって、幸運にも支援や出資が順調に集まり、この竜巻は、製作段階へとさらに加速して、年三回の撮影と編集は四ヶ月という大変短い期間で完成となりました。
まだ製作に入る前の準備段階では、1年ぐらいかけて、できれば西表島に家族と共に暮らしながら、ゆっくり時間をかけて撮影し、さらに半年ぐらい編集してと、ゆっくり、じっくりと思っていたのですが、現実は全く違ったことになり、一年間のマラソンを常に百メートル走並に走り続け、最後は猛ダッシュでゴール! 録音や音声編集以外の基本的な作業の、撮影と編集は、大部分自分でやり通し、あれこれ迷ったり悩んだりしている暇もなかったので、 逆に自分自身の感覚と勢いで、素直にできたのが良かったかもしれないと、今は思っています。もちろん、あらを探したり、上を見たりしたらきりがないですが、与えられた条件と可能性の中で、力を出し切ったという、今は晴れ晴れした気持ちではあります。と同時に、少し頭がぽっかりと真空状態でもあります。
この竜巻は過ぎ去ったのでしょうか?できれば、これからこの作品を上映していくことで、さらなる風が吹き、この風は、西表島の昭子さんと金星さんの願いも乗せて、いろいろな場所へと飛翔し、またそこで何かが芽生えて行くかもしれません・・・そうであってほしいと思います。
とにかく、無知で素人で無謀ではあったけれども、人が集まって、信じてやり通し、ある一つの結果が生まれました。もちろん、芸術作品自体は、夢見ていた何かの影でしかなく、真実は目に見える形としては決して残せないものだと思うので、私たちはその真実とはちょっと違った夢の影しか見ることができないわけだけれども、それでも、影から想像した何かが、また少し違った何かになって、それぞれの人間の中で立ち上がっていくことが、とても面白いのではないかと思います。
是非、この西表島の夢の影、「島の色 静かな声」という映画を、皆さん見に行ってみてください。2009年春、シネマアートン下北沢にて、初公開します。DVDも同時発売します。



 

2007.11.19  

茂木綾子

「島の色 静かな声」最終撮影終了

西表島での撮影は、2007年、春夏秋の三回で無事終了。10月19日から11月10日までの間に行なわれた今回の撮影は、16ミリフィルムカメラでの撮影も実現し、より充実したものとなりました。
石垣島から船で西表島へ、機材等の大荷物を 運び込み、大原港に到着すると、紅露工房のスタッフの女性が迎えに来てくれていました。工房へ向かう道中、 あの緑に溢れていた西表島の風景が、一変して赤茶色の禿げ山に変わっていたのにまず衝撃を受けました。この夏の2度の大きな台風による塩害で、山の木々はすっかり枯れてしまったようです。工房の庭も、木の葉が散ってスカスカ、工房内は天井の剥げ後とシミだらけ。片側の屋根が吹き飛び、屋内が水浸しとなってしまったので、染料や糸などを、随分処分しなければならなかったとか。金星さんが、屋根を張り直したのは、つい最近のこと。張り直した途端にまた次の台風が来て、道ばたに倒れた木々をチェーンソーで切ったり、公民館長の金星さんは大忙しだったようです。それでも西表の人たちは、毎年毎年、大被害を受けて困っていても、大きい台風が来ない年は、なんだか物足りなく感じて、今年は台風が来なくて寂しいな、なんて言うのだそうです。
台風が過ぎ去ると共に、年に一度の節祭の準備に入ります。1週間前から毎晩、夜の8時にドラが鳴ると、公民館に村人が集まり始めます。子供も大人も、狂言や唄や踊りの練習を繰り返します。この節祭は、重要無形文化財にも指定された、非常に独特なお祭りです。私たちも毎晩、夜の練習に通い、徐々に祭へと近づいて行く日々。そして、前日から始まるごちそうの準備。大晦日の夜は、(節祭はここではお正月なのです)石垣家で、珊瑚とシャミセンズルという葛の蔓草を神棚に上げて祈り、最後に清めの儀式として家中や庭に珊瑚をばらまき、蔓草を家の柱など大事なものに巻き付けます。私たちも、蔓草をいただいて、カメラに巻き付けました。この蔓草が無くなるまでは、西表の神様が無事に守ってくれるそうです。ばらまいた珊瑚も、お財布に入れて、お守りとなりました。
元日は、浜で一日中、船こぎ、唄、踊り、狂言に獅子舞が繰り広げられました。黄色い着物に白いお面をつけたミリクという神様が登場するのも、独特なものです。
二日目は、前日と全く同じ演技が今度は村の井戸の周りで行なわれ、井戸の周りを歌いながらぐるぐる、ぐるぐる回る様子は、神様を呼びよせているかのように見えました。最後は公民館で朝までの大宴会で終わります。

こんな風に、祭の日々が過ぎ去った後、昭子さんと彼女の出身地の竹富島へ一泊旅行に出かけました。竹富島では、お隣なのにこうも違うものなのかと思う程、西表島の人々や村の様子とは大きく違うことに驚きました。竹富島では、夕方と早朝に、白砂の道をきれいに掃き清め、石垣の周りの花々も丁寧に手入れが行き届いています。昭子さんもこの白砂のお掃除が毎朝学校ヘいく前の日課だったそうです。台風で荒れ放題の西表島とは対照的でした。でも翌日西表に戻ると、雄大な山並みや、マングローブの生い茂った川などを改めて見て、人間の手の入らない、未知の自然がすぐそこにある、この西表島はやっぱりすごいなとも思いました。


残りの日々は、工房で、繭の糸取りや福木染めを撮影させてもらい、金星さんには、一晩、お酒を飲みながらお話や三線や唄を披露してもらいました。
あっという間に三週間が過ぎて、これでもう撮影も終わりかと思うと、少し寂しい気持ちです。しかし別れ際には皆、次はいつ来るのかと聞いてくれるので、たぶんまた来年に、と答えました。次は、映画が完成したご報告をしに行かねばなりません。西表の神様には、この映画がうまくいくように、何度もお願いしていたので、お礼の挨拶をしないわけにはいきません。
この島には、たしかに今でも神様が存在しているような気がします。村の誰もが敬い、祈りを捧げ、唄や踊りをささげているのを見ながら、神様に拝むということは、不思議だけれども、人の暮らしには必要なことなのかもしれない、という強い実感を持ちました。
それに加えて、この島の人々の強烈な存在感や個性、忍耐強さや逞しさ、ずっこけ具合、不器用さや無邪気さ、 開けっぴろげで、羽目を外して騒ぐ開放性、いろいろな印象が、強烈に心に残っています。見た目なんか全く気にせず、魂がそのまま裸で歩き回っているようなかんじで、自分が生きて来た世界とは大きく違うなにかを見せつけられた気がします。
カメラやマイクを持って、毎日村内をうろうろしながら、ご迷惑をかけつつも、撮影を許していただいき、なんとか問題も起こさず撮影が無事終了でき、今は少しほっとしてもいます。そして、映画にはとても納めきれない程の体験は、一生の宝物となりそうです。この映画に全面的に協力していただいた、石垣昭子さんと金星さんには、いくらお礼を言っても足りない程なので、せめて、なんとか良い作品にして、ご恩返ししたいと思っています。
この場所で見て、撮って集めた色や音たちも、無垢で、強烈に元気一杯でした。この強烈な感覚を、映画の中で多少なりともうまく表現できたら幸いです。
これからの編集作業がんばります。



 

夏真っ盛りの西表島で撮影を続ける茂木監督。
島で年に一度行われる、豊年祭の撮影をしました。映画用のカメラで撮影しているので、今回写真はお見せできませんが、島ならではのお祭りをバッチリカメラに収められたようです。映画が完成するのを楽しみにしていて下さい。

 

2007.07.31  

茂木綾子

豊年祭は一昨日までの4日間に渡り、予想以上のすごさでした。
司の拝みから、毎日毎晩の飲んで唄って踊っての大騒ぎに、最終日の大綱引きに神輿、金星さんは最後に板の上に乗って波乗り状態で登場し、とにかくすごかったです。 金星さんや昭子さんのいつどこで神事が行なわれるかの情報も、常に違っていて、若い人たちは全く知らないし、迷宮のような村の中や御嶽所をさぐりさぐりキャッチするのは本当に一苦労でした。
重い三脚を担いで猛暑の中を歩くアシスタントのMさんも大奮闘でした。何処までどのくらい撮って良いのかもわからないながら、なんとか近づいて、かなり撮れた方だと思います。
神事は、基本的に内々の人間しか立ち入れないようですが、撮影には以外とオープンでいてくれ、時々怒られながらも、許してもらえているようだったので、助かりました。
ひとえに、金星さんの許しがあるという前提なのだと思いました。
この祭というもの、司の祈りに始まり、共同体の連帯、唄と踊りでエネルギーを爆発させるように、大音響で頂点までもっていく発散のさせ方、本当にうまくできているものだなあ、と感心させられました。また、男たちが、司である女性を神に一番近い存在として敬っている、そして敬われている女性も満足そうに静かに微笑んでいる、その様子がやはり、非常にいいなあ、うまくなってるなあ、と感心しました。やっぱり女性を大事にする男はかしこいし、りっぱだなあと思いました。金星さんなんか、昭子さんのこと、冗談半分ではありますが、皇后陛下と呼んでいて、うらやましい!皇后陛下のように扱われるのが、夢だなあと思ってしまいました。やっぱり女を女中のように扱う男社会はダメですね。それで社会が荒んでくるのでしょうね。
ということで、あれこれ考えさせられることの多い4日間でした。
あの感動が、伝わるような映像が撮れてるとよいです。
簡単ですが、ご報告でした。
今はちょっと疲れを取るために、ゆっくりしてます。
けっこうハードでした。



 

2006  島色の布

茂木綾子

7月、石垣島から船に乗り西表島へと向った。パラパラと雨が降る中を激しく揺れながら船は進んでいく。目的は、西表島で染織をしている石垣昭子さんの工房、「紅露工房(くうるこうぼう)」を訪ねること。

売店ひとつない小さな港に船が着くと、雨はさらに激しくなってきた。私たちは港の前のレンタカー屋へ駆け込み車を借りる。そして、この西表島にある一本道の国道を西へと走り始めた。小さな村が現れ、またすぐに通り過ぎる。一本道をさらに走っていくと、左手に田んぼと芭蕉の畑が見えてきた。その手前には、ハイビスカスの赤い花が咲き乱れる細い道があり、車はそこへ左折していった。カーブしていくその奥に、緑に囲まれた広い空間が現れ、その脇に平屋の工房があった。石垣さんは、藍染めのツーピースを着た小柄な人で、他に4人の若い女性達が働いている。1歳半くらいの裸の男の子も、機の並ぶ板の間に転がっていて、どの人の子なのかわからないが、お母さんがたくさんいるみたいで幸せ者だ。おとなしい白い犬と茶色の子犬も、白珊瑚の敷いてある土間で遊んでいる。その土間に大きな木のテーブルがあり、私たちは冷たいお茶をいただいて一息ついた。工房の中は暑くはないが湿気がものすごく、大きな扇風機が廻っている。芭蕉布の暖簾のかけてある奥には、染め場があり、さっき染めたばかりの赤や黄色や青の布が干してある。誰かへプレゼントするためのスカーフを染めているのだとか。石垣さんはゆったりと作業の指示を出しながら、私たちを庭へと案内した。庭全体は、大きな木々で覆われていて涼しい。「これは福木」と彼女は指差す。丸い厚みのある葉っぱにくねくね曲がる幹や枝を持つこの木の皮は、代表的な沖縄の黄色の染料。有名な紅型や首里織などにもよく使われているその黄色。写真で見たことはあったが、本物の福木を初めて目にした。そのとなりの木の黄色い花を指し、「これは、ゆうな。朝早く、黄色のきれいな花を咲かせたかと思うと、夕方にはぽっとり落ちちゃうのよ。」木の下には、内側がすこし赤味がかった黄色の花がたくさん落ちていて、まだ本当にみずみずしいのに、何故それほど早く散ってしまうのか不思議に思う。奥に歩いていくと、たくさんの植物が植えられている。「藍も育てているんですか?」と私が聞くと、「うちは琉球藍をよく使っているけど、インド藍も育てていますよ。そこの木の下の甕がうちの藍甕で、西表は気候がいいから、ほっといてもどんどん藍は建っちゃうの。昔、京都の志村先生(染織家で人間国宝の志村ふくみさん)のところで修行していた頃は、京都の冬はとても寒いから、本当に苦労して、苦労して、甕の廻りの四隅にちょろちょろ火を焚いて温めながら、毎日祈るように藍を建てて、それでもなかなかうまく建たなくて、大変だったのよね。先生もまだ若くて、苦労していらっしゃった頃ね。よく媒染するための灰を集めるのにも、私がリヤカーを引いて、京都の銭湯を何軒も廻って歩いたものよ。」
「ここでは何でも植えれば、ほっといてもどんどん育つしね。今山形から来ている子がいるから、その子が山形の紅花を育てたいというから、紅花もそこに植えてみたのよ。」
「他にどんな染料を使っているんですか?」「紅露(くうる)は、赤系の色を染めるのにつかうのだけど、金星が、山の中へ入っていって採ってきてくれます。」(金星さんは昭子さんのご主人)

「出せない色はありますか?」「だいたいどんな色も出せますよ。それに無理にこの色を出そうとはしません。ここで採れるものを使って出た色そのものを、いただいているという感覚だから、染め上がったどんな色も美しいと思いますよ。」
「糸はどんなものを使っているんですか?」「芭蕉はそこの田んぼの横に生えているし、麻も絹も取れる。交糸(ぐんぼう)といって違う糸を混ぜて織ることもあります。」
「全てここで自給自足できてしまうんですね。」「そうね、だいたい全部あるわね。」
「ちょっと、こっちへいらっしゃい。」と言って、石垣さんは国道の方へと歩いていく。道を渡ると反対側に茂みがあり、茶色い砂浜にマングローブが生い茂っている。サンダルのまま水の中を歩いていくと、両脇に並んだマングローブの並木道は、カーブを作りながら海の中にのびている。「このマングローブも私たちが植えたのよ。マングローブもどんどん減っていてね。ここは、織った布を海ざらしするための場所。ここは湾になってるから、左手から流れ込んでくる川の水と塩水が混ざってちょうどいいの。」
見渡す限りの水平線に拡がっているのは、空と海とマングローブの林に、遠くに広がる山並だけ。家一軒見えない。このコーヒー色の水の中に、染め上がった何色もの布を浮かべ、女達が水の中でその布を洗っている。きっととても美しい状景だろう。

「でもね、あそこの右手の浜に、月浜という神聖な浜があって、毎年海がめが産卵しにくる浜ですけど、そこに今リゾートホテルを建てていて、これからどんどん工事していろいろなもの建てる予定らしいけれど、私たちはもうずっと反対運動をしています。でもホテルは住民の反対を無視して建ててしまい、そのせいで今年は海がめが来なかったんですよ。海がめは人工の光を嫌うんですって。植物や生物の生態系もどんどん壊されてしまうでしょうね。ここをモーターボートが走ったりしだしてね。だから私たちはこれからずっと、あの建物がなくなるまで反対運動をしていきますよ。」
島や染織の美しさにすっかり気をとられていた私の頭を、一発がつんと殴られたようなショックだった。この西表島にはこれまで、リゾートホテルは建っていなかった。小さい民宿やペンションで充分今までやってこられたからこそ、この美しい場所がかろうじて残っているというのに。石垣島から西表島に辿り着いてまず感じた興奮は、もう石垣島では破壊されてしまった、自然の神秘的な気配だったように思う。それが西表島に着いた瞬間に、すーっと体の中に入ってきたので、私は完全にこの島の気配に魅了され、興奮していた。この何にもかえがたい美しい気配を、無知な都会の人間が、お金儲けという理由で、壊していいはずがない!石垣さんは静かに着実に、その怒りをもっと多くの人に知ってもらう事で、解決への道をなんとか切り開こうとしているようだった。
本当に大切な物何なのか、もっと多くの人に考えてもらっていく必要があるだろう。

「石垣さんは西表の出身ですか?」「私は竹富よ。竹富に比べたら、ここは大陸。金星と出会って、彼が西表の人ということで、ここに住む事になったんです。私が東京から島に戻ってきた頃は、竹富でも、染織をやる人はぜんぜんいなくなってたわね。でも最近また少しづつ増えてきていますよ。」
「うちの工房に来る子たちも、ほとんど他所から来る子たちばかりね。うちは経験者しか取らないけれど、村の体験学習場でも染め方や織り方などを教えていますよ。」
島の人間だけではなく、本土からやってくる若い人たちを積極的に受け入れることで、伝統文化の技術も継承していけるようになるのかもしれない。

工房へ戻ると、庭のテーブルに敷いてある大きなバナナの葉の上に、玄米おにぎり、豚肉の煮物、見たことのない菜っ葉のおひたしや、味噌、なすの漬物、冬瓜の煮物などが、おいしそうに並んでいる。「この玄米はうちの田んぼで作ったものよ。ここでは、米を自分で作れるようにならなきゃ、一人前だと思われないからね。どんなに偉そうなこと言っても、米も作れないくせに何を言っとるか!ってな具合だから。」と石垣さん。
そういえばかなりお腹も空いていた。仕事の合間に、毎日交代で食事を作り、外でいっしょに食べる。なんともいい暮らしだ。そして、ここの畑で採れたものばかりの素朴なごちそうは、あまりのおいしさに頭がすこしぼんやりしてくるほどで、感動的に美味だった。考えてみたら、朝からもうずっと、ありとあらゆる方向に目を向ける度毎に、感動のしっぱなしだった。

私が染織の魅力にとりつかれたのはここ数年のことで、植物や蚕を畑で育て、糸からたんねんに作ること。それを植物染料で、目もくらむほど美しい色に染め上げ、機の上で気の遠くなるほどの時間をかけて織り上げる布。その、人が身に纏うための布は、ただの布でありながらも、ものすごい衝撃で、私の心をつかまえたのだった。そして同時に、これをよく知っている、という感覚もあった。それはたぶん、自然の色彩を感覚として私の中にすでに持っているということ、細い細い一本の糸を繋ぎ合わせ、それを縦と横に織り重ねていく実に単純な作業から生まれるものでありながら、幾何学模様や、無限にいろいろな図柄を生み出していけるという拡がり、とてつもなく奥深いもの、歴史の長いもの、などを一枚の布が無言のうちに感じさせてくるからかもしれない。そして母の愛のような、赤ん坊のころから優しい布に包まれて守られてきた肌ざわりへの、いとおしい記憶のようなものが私たちの中には深く存在しているような気がする。
常に自然の中にあり、農作業と共に、糸作りから染、織、着物にするまでの素朴で繊細で、たくましく、優しく美しい布作りの仕事。昔の女達は、食事を作り、掃除をし、子供の世話、畑で働くのと同じように、この布作りの仕事を、誰もが自然にやっていたのだろう。でも私たちはもう、そのような仕事や布の存在を知らぬままに生き、その知恵や技術を失いつつあることにも気づかずにいる。しかし今からでもまだ遅くないかもしれない。その魅力を、布の美しさに対する驚嘆を、もっともっと深く知ってみたいという欲求が、どんどん私の中で膨らみ始めている。

石垣さんが今まで織ってきた布の端裂を集めた布帖を出して、見せてくれた。
ページをめくる毎に、新鮮な色の組み合わせや模様、糸の質感などに驚きつづける私。その美しさは、本当に言葉で言い表せない。まるで宝石箱を覗くように、私はこの布帖に魅せられて、うっとりと幸せな気持ちにひたっていた。そしてページをまたひとつめくると、今度は光るような真っ白い布が現れた。小さな花織りがあしらってあるその純白の布は、芭蕉の糸で織ってあり、とてつもなく美しい。「これは!」と思わず私が声を上げると、石垣さんは、「これはね、西表のある知り合いの人の息子さんが、東京の女性と結婚するので、そのウェディングドレス用に頼まれて織ったものなの。ここでは昔から婚礼の時に、新郎の家から新婦に布を贈る習慣があるので、そのお母様もそのようにしたいといって、私に頼まれたんです。でもそのお嫁さんは東京の人なので、芭蕉布というものも知らなかったし、大きなリボンをつけたり、派手な感じにしたがったのだけど、とにかく布の美しさを生かすために、できるだけシンプルなデザインにした方がいいと説得して、どうしても彼女が付けたかったリボンだけは、最後にこの辺に小っちゃく付けてあげたけどね。でも式の当日、まわりの人たちに、すばらしい、すばらしいと、さんざん誉められて、最後には彼女もすっかりモデル気分でね、とっても喜んでくれたわね。今になってやっとこの布の良さがわかってきた気がする、と言ってくれました。そしてそれを今は、パーティー用のドレスに仕立て直して、大切に着てくれているそうよ。」
私たちはその話を聞き、純白の芭蕉布の切れ端を見ながら、夢のようなその美しさを想像しつつ、溜め息をついた。ほぉーーーーーーっ!
ウェディングドレスへの憧れはないけれども、美しい物はやっぱり美しいのだった。
それから3日間、毎日紅露工房へと私は通い、ここでのゆったりとした時間を感じながら、楽しく幸せな時を過ごさせてもらった。最後に訪ねた日、庭のテーブルの上には、巨大な里芋のような芋がたくさん並んでいて、これはなにかと聞けば、これが例の紅露(くうる)の根っこだそうで、きのう金星さんがジャングルの中から取ってきたらしく、鉈で割った切り口の断面は、ものすごい赤色。その硬い芋を、おろし金で一日中女の子達はおろしていたのだった。私も手伝ってあげたいけれど、なにせこの大量の紅露をおろすのに、おろし金が一個しかない。のんきな話である。「今度来る時、ドイツのいいおろし金をかならず持ってくるね。」と私は言って、紅露工房を後にした。

紅露の赤、ハイビスカスの赤、赤、赤、赤……。
島中に溢れる緑、緑、緑、緑……。
空と海の藍。ゆうなの黄色、下がり花の桃色、茶色の浜、珊瑚の白、夕焼けの七色。いろんな色がありました。
そして、シャー、トントンと繰り返す、機の音と海の波の音は、とてもよく似ていて、優しくなつかしい音で鳴りつづけていた。

この島には、失われた時が今でも、ささやくようにひっそりと生きているようです。