宇宙の全てを生む母体である未知の闇。
そこに光が現れる。
光があるから私たちの目があり、目があるから色がある。
あらゆる生命が色と戯れて生きている。
闇に光が射すとまず生まれる青は、空と水の色でもある。
本来は無色透明であるのに、遠くから見ると青く見えるのは何故か。
植物は緑、花々は色とりどり、土は茶色、赤い血に赤い炎。
その全ての理由は謎だ。
科学的な説明ではない、色の本質について考えていくと、
謎は深まるばかりであるが、そんな雲を掴むような感覚こそ興味深く、
隠された意味を追い求めたくなる。
芸術とは、目に見えない、手にすることのできない何かを追い求め、手探りし、嗅ぎ分けながら、
目に見えるものに少しでも定着させようとした努力の結果であるだろう。
古くからある日本の伝統工芸として、植物から色を染め、布を織る人たちがいる。
元々はどこでもあり、誰もが知っていた技術だが今ではほとんど失われた、
身近にある自然の素材と丹念な手仕事による技術の原点から生まれる、限りなく自然に近い色。
八重山諸島、西表島に暮らす石垣昭子氏の、
野山で取ってきた植物で、霊気の籠った色を染め、機で織り、海の水で洗い、
心を込めて仕上げられた布は、身に付けるための一枚の布でありながら、
それを手にし、目にした者に激しい衝撃とパワーで何ものかを突き付け、
不思議な程に心を強く揺さぶる。
それは私たちの忘れかけている、大切な何か、忘れてはいけない何かを、
無言で語りかけてくるのを強く感じさせるからだ。
自然は彼女に語りかけ、色を通して宇宙の神秘を垣間見せているのではないか。
目には見えない、言葉では言えない領域からの信号を、糸に、織物の中に吹き込む。
そんな、自然の中に存在する純粋で美しい色あいは、
当然、化学染料や化学繊維では決して生み出すことはできない。
その違いは一目瞭然であり、
科学だけで色の本質へは近づけないことの証でもある。
色の本質を求めるうちに、失われつつある純粋な自然の色を再び私たちの手に取り戻すためには、
自然そのものを守ることが、何よりも重要な課題であると、確信してゆく。
色が色になる前の光であったとき、それは遠い彼方からやってきて、
やがて私たちのところに届き、色となる。
その遠い彼方を感じさせてくれる色。
神が自然に与えた色彩の美は、一枚の布の中で再びよみがえる。
それはまさしく、宇宙からの贈り物、なつかしい母なる色として。
茂木綾子
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