鹿児島マルヤガーデンズの屋上で、知的障がい者施設しょうぶ学園のバンド「otto & orabu」の演奏を見た瞬間、この人たちの映画を撮りたいと思った。
20人以上の怪しげで派手な衣装とメイクを塗った人々は、障がい者とその施設の従業員の混合の楽団だった。ザワザワと潜在意識に強く響いてくる、不揃いで不可解、でも楽しげで爆発するような音楽は、雨降る屋上のじめじめした空気を吹き飛ばすかのように、大きな疑問符を見る者の心に投げかけていった。
それ以来二人は鹿児島へ何度も通い、しょうぶ学園の世界の中に少しずつ融け込み、カメラを回し続けた。外から訪ねる人の目線ではなく、障がいを持つ彼らのあたり前の目線を見つめながら。
中庭で、来る日も来る日も一本の木の側で、しゃがみこんでどこかを見つめ続けるたけしくん。カメラをひたすら向け続けても全く気にしない。気持ちのいいカフェテリアでごはんを食べる様子も、皆人それぞれ。誰も自分を人と比べるということがない。刺繍工房で糸と布と戯れ部屋中を埋め尽くす吉本さん。彼には目的もゴールもない。ただただ永遠の今の中で、布を小さく切り取り、糸を並べて、満ち足りている。紙の上から椅子から机から、床も壁もペンキで四角い升目を描き続ける濱田さんもまた、何年も同じスタイルで毎日毎日升目を描き、その迷いの無い筆さばきは完璧な巨匠のそれだ。木工所では、みんなトンカントンカン好きなように掘って掘って掘りまくり、ニコニコ顔の中野くんはボタンの詰まった箱を来る日も来る日もぐるぐる回し続ける。
そんなしょうぶ学園を生み出し、守り支え続けてきた福森家の人々。現在の学園長福森伸さんは、長年彼らに寄り添いながら、常に自分自身のあり方に疑問を抱き続けてきた。
「僕たちは、彼らに社会の秩序というものを教える立場ではない。彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。やらなければならないことは、彼らが安全に歩ける道をつくることである」と言う。
私たちがどんなにがんばっても辿り着けない、真の自由と幸福に、彼らはいる。そのままいる、永遠の今の中で。このしょうぶ学園にいると、まるで未来の世界にいるかのような錯覚に襲われるのは、ここが、私たちがいつか辿り着きたい永遠のふるさとであり、あの不思議な音楽と共にキラキラとその姿を惜しみなく見せてくれるからなのだろう。
ミナ ペルホネン 皆川明
芸術という行為は、心の奥底で震えている命の鼓動の発散なのだと思う。その鼓動を心から外に出すためには、心の摩擦がないとても純粋な心の通り道が必要な気がする。
otto&orabuを初めて体感した時、僕はそんなことを感じた。
日頃の彼らは穏やかな佇まいであり、他者へも自己へも優しく素直な目を向けている。彼らと接していると、内側にある心と常に対峙し、観察して、そこに沸く感情と向き合っているのが伝わってくる。
演奏というアウトプットする瞬間に、その心との対話が解放され、喜びの感情とともにエネルギーとして放出されるのだろう。それを私達は同じく心で受け止め、感情が共振し、感動しているのだ。
シンガー/ボイスアーティスト おおたか静流
こんなふうに暮らしたい、
表現したい、
沢山の「あぁ、本当は・・・」のスイッチをONにしている居場所=しょうぶ学園。
たまらなく好きです!
この映画には、
ONの囁きが散りばめられています。
大好きです!
DEPARTMENTディレクター/デザイン活動家 ナガオカケンメイ
自分が発行している「d design travel」の鹿児島号でしょうぶ学園に出会いました。otto&orabuの練習を覗いたことがありますが、一番驚き、考えさせられたのは、彼らには「練習」という概念がほとんどないんだよ、という福森さんの一言でした。常に本番。常に全力・・・。その様子にまず感動しました。また、ひとりの園長の個性が施設やそこに集まるみんなを人間以上に人間にしている様子に、終始、笑顔と涙で試写を観ました。つづく・・・
GOOD NEIGHBORS JAMBOREE主宰/DOUBLE FAMOUS 坂口修一郎
彼らが出す心地よいノイズで僕たちの耳が更新されてしまった衝撃のあの日。この映画を見てその時の気持ちが蘇りました。
映像ディレクター/映画監督 佐々木誠
シンプルに表現することは美しく、正直に生きることは最強だ。
それを飄々と実践している本作の被写体はもちろん、作り手にも羨望の念を覚えた。
ドラァグクイーン/映画評論家 ヴィヴィアン佐藤
削りだされた木屑。マリンバやシンバルから出でた不意な音。口から漏れだした声。。。偶然に、突発的に、世の中に誕生したものたちは、美しい。恣意性がなく、神様が作ったものそのものだ。すべてのものは理由もなく産み落とされている。すべては祝福されているのだ。
ファッションデザイナー/アーティスト 津村耕佑
私達は、幼い頃から物事をどの様に理解し表現すれば良いかを親や友人、教師を通じて学び、
ある人は大胆に、ある人は慎重に、社会の扉をノックしてきたと思います。
この映画を観ていると別の扉をノックしてみたくなり何故かワクワクしてきます。
音楽家/映像作家 高木正勝
僕たちは、人という生きものが持っている力を、あまりうまく使えていないのではないだろうか?
しょうぶ学園の皆さんと出会う度にそう思います。
この映画を観ているうちに、皆さんが野生の生きもののように思えてきて、とても羨ましくなりました。
その野生は、僕たちが日々、このこんがらがった社会で生きていくなかで、少しずつ少しずつ抑えてきた、僕たちの魂の衝動で。
それは、とても素直な憧れで、
ああ、わたしが笑いたいようにわたしを笑わせてあげたい(顔をほころばして)、躰が動きたいようにわたしを動かせてあげたい(コントロールするのを諦めて)、わたしが優しくしたいようにさせてあげたい(心やすく)、どんなに楽しい毎日だろう。
GOOD NEIGHBORS JAMBOREE主宰 / DOUBLE FAMOUS 坂口 修一郎さん
僕は鹿児島で障がい者施設を営む家に育ちましたが、結局家業は継がず東京で根無し草のような違和感を感じながら音楽の仕事を続けていました。そんな頃出会ったしょうぶ学園の活動に天地が逆転してしまうような感覚を持ったことは今も忘れることができません。興奮と共に僕の違和感など吹き飛んでしまい、彼らといっしょに歩きだそうと決めるのに悩む時間は1秒もありませんでした。
中心メンバーであるottoの演奏は、そもそも誰かに見てもらうためでもないどころか上手に見せようというあざとさもない。彼らはただただ音を出す楽しさのためだけに音楽に接しています。このはじめて楽器に触れる子どものような、音に対する根源的な姿勢をキープすることはプロの音楽家にも難しい。それが観るものを惹きつけ、音とともに自然と身体を動かしてしまう要因だと思います。
この魅力をもっと多くの人に伝えたい。そう考えた時が僕が鹿児島で立ち上げたイベント、グッドネイバーズ・ジャンボリー(GNJ)の、その時点までぼんやりしていた構想が具体化した瞬間でした。あらゆる人々がフラットに交流するフェスティバル。彼らとの出会いに触発されてGNJは明確なコンセプトのあるプロジェクトになっていったのです。
この素晴らしいフィルムを見て思ったのは、僕らがそうであったようにしょうぶ学園との邂逅が、作家に筋書きやコンセプトを超えた作品を撮らせてしまったのではないかということです。しょうぶ学園の人々の作品には、人をしてそのように動かしてしまう力があります。そして、アーティスト同士のこの関係はとても幸福なものだと思うのです。